あと一反の

150 150 山下とうふ店

すずの大豆を片付ける予定でしたが長電話が入り中止。あしたで終わるかな。

昼間自分の車の前に成田ナンバーでボディはマチュピチュの絵、屋根の上に二つ目のカメラを付けた軽自動車がいました。Google Street View と看板を付けていました。あれか? グーグルマップの実写版を時々更新しているんですね。家の前を片付けておかないとそのまま写っちゃい公開されてしまうようです。通行人がいたらデジタル処理して消してしまうんでしょうね。

ここ10日間ぶっ続けで刈り取り・脱穀、夜お店でだいぶ疲労が積み重なっていますがきょうは夜はなしなのでぼおっとしています。映画でも観るかな。

三島由紀夫が大義という言葉を使う後ろ盾にプラトンがあったのは、こないだやっていたテレビの特集番組で楯の会の会員にプラトンを読むように勧めていたという手紙の紹介で、なるほどな、と思いました。唯一絶対善を求める立場からプラトンに同化しようとした三島の感覚がなんとなく感じ取れます。多元主義はその対極にありますが、”多元”を構成しているひとつひとつをただやみくもに存在を肯定している言い方は単なる思考停止した怠惰な見解と思います。ひとつひとつの構成要素はそれ自身としてはやはり高みを目指して努力をしなければならず、多元状態がただ存在していればいいのだというだけではばらばらにだらしのない状態が続いているだけのように思えます。もっともここにこそ人間の営みのおもしろさがある、という考えもあるでしょうが。

大豆の世界もただいろんな品種が存在していること自体、将来に向かって貴重な”可能性”を保存させている、という意味ではそれでいいのかもしれませんが、個々の品種に対峙している栽培者・加工者は品種とその地域性の上にあぐらをかいているだけではだめだと思います。いじっているひとの人間性を道具に真剣に取り組まなければなりません。品種そのものの価値と対峙しているひとの技術・感性との掛け合いがすべてです。その背景には自然の営みへの感謝があります。多様性といういう言葉をおしゃれな形容詞で使っているような場面がたくさん見受けられます。