枝豆の2週間

150 150 山下とうふ店

があっという間に通り過ぎいよいよ刈り取りに入る時期になりました。土壌の差なのか、やや早すぎとやや遅めに別れた借金ナシ。早めのものは他が枝豆の時期から出来上がってしまっていてだいぶごれ落ちてしまったかなと思いますがなんとか刈り取り脱穀は先週終了。今週は遅めのやつを刈り取り始めました。

さかさまに干してあるごまも、最終の木づちによるごまたたきを経てはやく片付けたいのですがいつになっても終わりませんね。30キロ行くかな。少しゴマ単体で売ってみようかなとも考えています。

夜、朝刊の作文コンクールの入賞作品を読んでほかほかとしてきましたが小学生を2年ごとの学年別に分けた選別になっていましたがどれもすばらしかったです。自分が小学校のころ読書感想文の課題があって一番のものは先生が手を入れて市や県に提出していたようで子供ながら文章の書けない自分にはいやなものを感じていましたが、きょう読んだものは1、2年と3、4年のものは個人的な家族の問題とはいいながら少ない語彙・漢字でひらがなを駆使しながらゆたかな感性でやわらかく温かい言葉の世界・観察を文章にしていました。語彙の多いおとなが語彙を選び抜いてやさしいひらがなことばでくみたてたという下種の勘繰りを生起させてしまうようなすばらしい文章となっていました。5、6年生になるとやはり漢字も増え、社会・”公”の意識が出てくるのでひとの成長というものを意識させるものがありました。埼玉版の子供文芸欄は俳句や短文をいつもわくわくしながら読んでいるのですが、自分らの時代からすると小・中からの作文教育はずいぶんと進化してきたのかなと思います。書くと考える、についての教員の訓練にはずいぶんとエネルギーがそそがれているのかなと思います。

こんないい記事とは反対に”替え玉”なんとかがまたおきていました。あとからあとからこんなものが手を替え品を変え出てくるのも高い需要に応じた先端商売なのでしょうね。こんなのは選ぶ側・試験をする側が悪い。

夜笑ってこらえてという番組のブラスバンドの全国大会目指す全国の学校の取材が良かったです。特にフル編成のビッグバンド主流の中で奄美大島の13人しか部員のいない学校の活躍が胸を打ちました、大昔蔦監督率いる徳島の山の中の池田高校が甲子園に登場した時の感じです。ブラバンの花形ともいえるトランペット無しというのは小編成を逆手に取った指導教員の導き方に敬意を表しました。音が多ければ音楽は豊かになる、に反旗を翻した形になりますかこれは前にも撥弦楽器で複弦だったものが”単”弦になって音楽が貧しくなったかといえば実際にはその逆・・・いやいや弦の数には無関係ですか。多楽器の組み合わせでも種類の多い少ないよりは演奏次第ですね。今豆腐業界は”濃ければ濃いほどうまい”というとんちんかんな流れが起きていますが、そういうことへの警鐘にもなるのかなともこの13人をみて感じました。濃ければ濃いほど素材の持つ味や香りがたくさん出てくるというのは間違いだと思います、話がずれたかな。・・・定年後病気で亡くなってしまった奄美大島のNさんにこころのなかで「よかったよ」と語りかけました。