午後、川越駅前に

用があったため午後は何もできず。

夕方ごろっとなってテレビをみていると東北の冬を。

新しい年の豊作を祈って雪でうずまった田んぼに「雪中田植え」。

稲わらと大豆がら(豆がはぜてからっぽのさやをつけたままの大豆の株)を畑に植える。

稲と大豆が農の基本だというあらわれだろう。

おばあちゃんたちが自分を"おれ"といっていたのをみて、このへんと同じだなと気づく。

女性が自分を"おれ"といっていたのは関東から北へ向かってはごく普通のことだろう。

あたしやわたしは戦後かな。

あいさつするとき"わたし"じゃなくて"わたくし"よなんて名士女性のスノッブも笑い種かもしれない。

都会を拒否しふるさとを守っている17代目の農業青年が、中学のときの自由研究で始めた「年寄りからの聞き書き」を記録した数十冊のノートに頭がさがる。

国が誘導した「都会人の生活が第一」というどこかの政党名みたいな敗戦後60年のモットーがしらじらしくなる。

表面的な大規模化や機能・合理性をきわめていくことが、軽薄な"エコ、エコえこひいき"とともにこの国の農業を守れないのは明白だろう。