創業明治五年のこだわり


むかしの味を今につたえて・・・そしてプラスα

当店は明治5年より埼玉県所沢市のこの地にて豆腐店を営んでいます。

明治維新のかけ声とともに農家との兼業でちいさな豆腐作りの工房を開いたのが我が家の本家。

そこで次男であった当家の初代が本家の始めた豆腐屋をそのまま引き継ぎ現在にいたっています。

天秤棒で担いで東村山や東久留米に売りに出、きつねにあぶらげをあげた話とか、売り上げをすべて飲んで帰ってきた話とか、お祭りで夜出かけかわいい子はいないかと・・・といった楽しい話をよく聞かされました。

地理的には商圏は今の所沢市よりも清瀬・東村山・東久留米であったようです。

20坪程度のせまいところに井戸まで含めていろんな道具にかこまれこつこつとかせいできたようです。

太平洋戦争が終わるまでは豆腐の製造法は基本的には江戸時代のまんまで、薄い豆乳に海水にがりを加えてかいで攪拌という方法で作っていました。

ボイラーもなかったので当然まきを燃やして煮炊きをし、豆を挽くのも石臼でした。そのため仕事は夜中の2時くらいからでないとその日の販売には間に合わなかったようです。

材料の大豆は明治時代は自動車のなかった時代ですから近所で栽培していた大豆を買って加工していたようです。朝鮮半島・満州に我が国が進出するようになると彼の地の大豆もだいぶ入ってきて原料になっていたとのこと。また終戦直後のことまで含めると群馬県の沼田方面からたくさん大豆が入ってきたようです。

 

終戦とともに自動車の時代となり、関税のかけられない大豆はアメリカ産の圧倒的な輸入攻勢に会い国産は壊滅状態となりました。

かてて加えて豆腐製造の機械化がすすみ、グルコノデルタラクトンの発明による充填法の開発にともない豆腐はハンドメイドで作る時代ではないと思われるのが主流になってきました。

 

こんな雰囲気のなかで「ほんとはどんな味だったの・・・?」ということへの疑問を持つものも現れ、にがり豆腐を求めるちいさな声が起こってきたのです。

と同時に大豆も日本産ので作ってみたらどうなるの・・・ということになり、小型機械の進化も相まって絶滅の危機にあった町店というものが頑張りはじめてきたのです。

どこの町にもあったせんべい屋、こんにゃく屋、なっとう屋、醤油屋、みそ屋・・・はことごとく淘汰されたのにもかかわらず、基調としては豆腐屋も同じなのですがまだまだ消滅というレベルには至っていません。

なぜでしょうか。

・・・といっても今や風前の灯火といってもいい状態にあることに変わりはありません。

 

山下とうふ店は何を目指しているのか?

 

1.基本は"昔の味を今につたえて"です。

2.手作りとはいっても昔と全く同じ"手作り"、ではありませんが豆をすりつぶす部分、蒸気で煮る釜と煮えた"呉(呉服、と同様呉汁というのは中国の呉の国から伝わった大豆すりつぶした汁、ということ)"を絞ること、以外は若干方法と道具は異なりますが"手作業"。大きな固まりも包丁でカット、です。

3.にがりは東京都青ヶ島のひんぎゃのにがり濃厚版を使っています、一般のボーメ計では測定不能域にあると思います。青ヶ島は本土からも距離があり、しかも黒潮の流れのまっただ中にありミネラル豊富できれいこの上ない海域です。

 にがりにこだわっているからといって硫酸カルシウムやグルコンを否定するものではありません。硫酸カルシウムやグルコンの長所・短所を理解することでにがりの使い方の奥深さを学べます。若い職人たちの中にはにがりしかしらないひともいるかと思いますが豆腐凝固の多様性・多面性を学ぶことでにがりのテクニックが向上します、自由自在になるといっていいでしょう。

 消泡剤についても一時大騒ぎされて否定されていましたがそれは成分の中にシリコンが使われていたからです。泡を消すのにシリコンは威力を発揮するようですが人体にはよくありません。

伝統的には揚げ物に使っている古い油を少し混ぜて豆を煮る、というのが戦前までの煮方のようです。

現在ではシリコンを使わず植物油脂と炭酸カルシウム(天然物)が主成分のものが多いようです。

消泡剤使用と無消泡剤の豆腐製造に関わる根本的な差異は煮方の"完全・不完全つまり乳化の完全不完全"と味の"すっきり・さっぱりと濃厚・まったり"にあると思います。

目隠しテストにより同一大豆で両者を比べればほとんどは消泡剤使用のものをえらびます。

味の根本(ということは単純)要因を押さえてしまっている消泡剤使用ですが、実は無消泡剤でも使用したものより総合点で勝てる豆腐も作れます。"味の単純要因"を超えてしまうワキをきちっとくみたてることでそのことは可能です。

でもまあ味の判定は"ひとさまざま"です。

多様性にこそ味の楽しみはあるのかもしれません。

このことがわからないで、能書き倒れに終わっている無消泡剤表記の豆腐が氾濫しています。

私はどちらも作りますが、表記によってご理解ください。

また昨今ではにがり豆腐がだいぶ普及してきたことにより「にがり豆腐は甘い」という認識が国民全体に認知されてきているようで、にがり技術の未熟を補うために豆腐に甘味料をいれる向きもあります。これはだめです。こういうのは良くないと思います。

 

 

4.原則、大豆の品種には一切こだわらず目の前に現れたものはすべて豆腐に加工したくなる意欲があります。

 アメリカ産でもカナダ産でも満州産でもハンガリー産でもインド産でも・・・なんでも否定しません、ただし遺伝子組み換えは否定します。遺伝子いじりは医療に関してであっても今の自分の精神的レベルでは認めたくないです。

 

 国産だからといって必ずうまいというものではありません。国産にはもちろんうまいものが多いのは真実ですがそれにはきちんとした作り手が必要です。輸入大豆といえどもきちんと造れば、いいかげんに造られた国産大豆の豆腐よりもはるかにおいしいです。要は品種と加工技術です。

 また手作りだからといってかならずうまいものではなく、やはりきちんと造られた大量生産であればいいかげんに造った手作り品よりはるかにおいしいです。

 値段だけで判断してはいけません。

 

 当店では大豆はもっとも標準的なものには長野県駒ヶ根市のぎんれいを使っています。25年前に契約栽培が始まった時にはまだこの品種はなくナカセンナリであったと思います。当時は品種というものにはあまり気がまわらず、ただ「・・・県産」ということですましていたような時代です。

 御子柴公人先生が中心となって開発されたギンレイきわめて優秀な品種で豆腐でも油揚げでもいいものができます。長野県の伊那谷にほとんど限定された品種かと思いますが、所沢でも少し栽培してみたところ、美味な枝豆でした。豆腐にするまでの量には達しませんでしたがそこそこ量はとれると思います。

 

 そしてここのところ自家農園で、慣行でもなく有機でもなく、植物にとってのもっとも自然な状態をさぐるべく無肥料・無農薬栽培をしています。もちろん委託農作業ではありません。播種・栽培・刈り取り・選別まですべて自家労働・作業です。しかも栽培は大豆だけの単作で、連作です。千葉県君津市の半沢さんを目標にしています。8年目の一昨昨年時点では広い畑の中で円形にぽつんぽつんと連作障害がいまだにあらわれましたが、基本的には豊作でした。手蒔き、手刈りで反収230キロはいっていると思います。一番肝心なのは品種の選定と畑を栄養過多にしないということです。

2014年産は反収210キロくらいでしょうか、面積が増えるほど反収は減っていくと思いますが作業効率が下がってくるからだと思います。

今年は12年目に入ります。

 

5.在来種をたくさん確保しています。自家農園の栽培は99%在来種です。かといって改良品種を否定しているわけではありません。お金を出せば買えるものは"買えばいい"ということです。

 

6.60歳の半ばにいる現在、今後の大豆栽培をどう考えるかという問題があります。

身長が少しちぢまったりし、しかも腰もいたい。夏の暑さもきつい。刈り取りも多くなると追いつかない。


蒔くことはまださほど苦痛とは考えられませんが、はとによる食害のために2度蒔き3度蒔きはもういいかげんにしてくれといったところです。サンサンネットという防鳥ネットは値段は高いし盗まれやすいし、だいいち作業がやっかいです。

一年を通してもっともやっかいなのははとぽっぽです。


刈り取りはJAのコンバインによる刈り取りサービスがあるのでいずれはそれにお世話になるものと思われます。


選別機は精度は別にしてスピードは速いです。まだまだ余裕のようです。


いずれにしても2町歩あたりが、やりくり方針の転換点かなと予想されます。



 

(最終改訂2015.03.02)