大豆について

 

 概念を整理するために2分割法を取り入れるとすると、これですら1.国産大豆と輸入大豆、2.在来種と改良品種、3.高タンパクと低タンパク、4.無農薬と慣行栽培(低農薬)、5.GMOとnon-GMO、6.豆腐用と非豆腐用(豆腐としての向き不向き)、7.通常色(黄色大豆)と色豆、8.新豆とひね豆・おおっぴね、9.大粒大豆と小粒大豆、10.脱皮大豆と大豆そのまま、11.丸大豆と微粒子化粉末大豆・挽き割り破砕大豆、12.脱脂大豆とそのまんま大豆、13.寒冷地の大豆は温暖地よりうまいか?・・・

 

とこんなに増えてしまいましたが、まだまだ他の分け方もあるのでしょうか。

ここでは消費者目線で理解できるよう簡単にそれぞれについて説明していきます。

 

1.国産大豆と輸入大豆

 

我が国は第二次大戦敗戦後こと大豆に関して対アメリカでは関税はかけられずほとんど抵抗するすべもなく市場に出回るほどの豆腐用国産大豆はほとんど存在できなかったと考えるのが妥当かと考えられます。せいぜい煮豆や高級納豆用といった"豆の外見"を重要視される分野に限って生き残ってきたといえます。

30年くらい前から豆腐にも使えるようにと徐々に国産大豆も増産されるようになりましたが、当初は売買は品種などは問題外で"なになに県産"という程度の取引が行われていたような気がします。値段も高くて30年前で30キロあたり長野のナカセンナリで9000円くらいであったような気がします。今は豊作・不作によってちがいますが普通にとれていれば30キロあたり6000円前後が基準になっています(慣行・減農薬)。ただし2013,2014年のように不作の時は翌年の市場では30キロ1万円を越す品種もあり、へたをすると例年の無農薬レベルの1.2-1.5万円くらいまではねあがってしまう場合もあります。30キロあたりでは一丁330グラムの木綿豆腐は180-200程度とれるのが普通です、寄せ方にもよりますがおおむねだれがやってもこの程度になると思います。割り算すると豆腐一丁にかかる豆だけのコストは60-70円くらいになるでしょうか。(ただしひねて力のなくなった豆は別です。ここではいちおう保存良好の前年度産つまり新豆ということで考えています)。

 

いっぽう輸入大豆はここのところずーっと国内使用大豆総量の95パーセントという安定した比率を示しています。最近はアメリカばかりかカナダやブラジルとかが多いようです。ロシアのあの穀倉地帯でも大豆を作るようになったといいます。中国はもちろん大豆発祥の地ということもありたくさん日本に輸出・・・というイメージがありますが、農産物にかかわるさまざまな不祥事から日本への輸出は激減しているようです。旧満州の大粒/大白眉はきわめて優秀な大豆です。中国は現在では生活水準が上がって逆に大豆輸入国であることは意外と関係者以外には知られていない事柄かと思います。

 

いずれにしても国産5パーセントという数字はたしか10年前では当たり前だったのでさらにそれ以前から5パーセントだったのかなと思いますが増えているような気がするにもかかわらず、いつになってもそれ以上にならないのが不思議です。

 

さて味ですが、うまいまずいはどこの土地であっても存在するもので国産はうまくて輸入はまずいと決めつけられるものではありません。大事なことは品種とその品種にあった栽培がなされているかいなかです。

たまたま輸入のものがまずいものが多いがゆえに国産はうまい、という固定観念が作られてしまったのかもしれませんが国産にだってまずいものはたくさんあります。

つまり公平な判定をすれば輸入・国産だけでは公平な判定基準にはなりえません。ただし海外の大規模農場では味よりも"たくさんとれる"ということが至上命令になってしまうのでまずい場合がほとんどだということです。収量にかかわりなくうまいものを追求してくれる農家がいれば当然うまいものはできるはずです。


今帯広では冷凍枝豆を輸出して海外では大人気のようです。

edamameは世界語になろうとしています。

ということはいずれ海外でも大粒で甘みの強い品種を蒔くようになってしまうことは目に見えてあきらかなことです。

輸入などしなくても、しかも冷凍などではない生の枝豆を自国で栽培するようになってしまうでしょうね。

(2015.3.02)

 

 

2.在来種と改良品種

在来種というのは今やブームのようになっていて在来種なら安心安全とかかっこいいとかということで見かけの価値を商売にしてしまおうと引っ張りだこの現象が起きているようです。

さて在来種の意味ですが、在来のということはある土地に昔からずーっとある、という程度の意味でしょうか。深読みすると、"その土地に窮極の馴化をなしとげた品種"とでもいう意味になるでしょうか。

それに対して改良品種とは読んで字のごとく今までよりもよりよく改良した、というほどの意味でしょうか。つまり収量がすぐれているとか、寒さに強いとか、虫に強いとかといったように種がもともともっている形質を人間の都合の良い形質目指していちかばちか(まったくのばくちではもちろんありませんが)異なった品種を強制的に掛け合わせて新品種をつくることをいいます。思い通りの形質を得たり得なかったり、暗中とまではいかなくてもたそがれ模索みたような感じの品種造りかもしれません。遺伝子組み換えはさらにこれを徹底したもので、実現したい形質を他の遺伝子も利用したりして遺伝子いじりをすることで作り上げるものです。

 

一般に在来種はある特定の土地に究極的に馴化した種という解釈からその土地にいる限りは気候変動や害虫に強いと解釈していいかもしれません。また改良の手を加えてないことから野生に近いということもあり、青味、野の味"が顕著である、ということがいえます。とはいっても野っぱらにすっぽかしというわけでもなくいちおう"栽培"という過程を経ていることから、どぎつい青臭さというものだらけというものではありません。品種にもよりますが甘みの強いものも多いです。

ところでその土地に馴化とはいっても、3,4年前のものすごく暑い夏だったと思いますが埼玉県の在来種"借金無し"がまったくとれず平年の1,2割という生産高の年がありました。これはなんだったのでしょうか・・・。暑さが、その土地のものでなかったということでしょう。つまりその夏は埼玉県は埼玉県ではなかったのです。

暑さに強い品種もあります。温暖化が顕著になってくるこれからはこの点に留意することが大切となります。

いろんなものを取り込んでリスクを回避していくのが、これからの農業衰退・気候激変の時代にあって食糧生産の責務を負った者の勤めだと思います。

虫の問題は改良品種と比べて在来種の場合有利なものが多く無農薬栽培には好適だと思います。ただし無農薬といっても動物性堆肥を投与したりする有機栽培は健康な生育を促す栽培とは考えにくい農法と考えます。とにかく大量の肥料を投与すればやわらかく甘くておいしい作物になるだろう、という論理からこういう栽培をしているのでしょうがこの肥料自体が"虫"を呼び込むおおきな要因でもあります。

枝豆はたしかにやわらかくふわっとした美味となりますが、あとからあとから虫がやってくる。有機肥料が分解して生成する窒素が原因です。大豆は根っこに根粒菌という空気中の窒素を取り込む菌がまん丸の形状をしただんごみたようなかたちのものの中に住みついています。

それではなんにもえさをやらないかというとそういうわけでもありません。長年、しかも連作障害を乗り越えて栽培してくると、さまざまな知見をえられます。大豆の"有機栽培"は受けねらいのモットーと考えた方がいいと思います。オーガニックのルーツは欧米かと思いますが、家畜の歴史の長いヨーロッパに比して農耕中心であった日本の農業、しかも気候もだいぶ違うものを単純に同一のスタンスから取り組むのは間違っていると思います。

窒素が大豆栽培のキーポイントとなります。

在来種はコンバイン刈りしやすいような、適度な身長・まっすぐスタイル・いっぱいなるという性格のものが少なく、反収オンリーのことばかり考えているひとにはきらわれるかもしれませんが、虫に食われても残存する完全豆の比率の高さを考えればかならずしも収量が低いとはいえません。一時というか今もかもしれませんが、一反あたり300キロという大豆栽培を国が推進していたことがありますが、在来種だと不利だとはいえ少ないと100キロ、多いと250キロ程度は行きますので、自分の土地に何がどういうふうにすれば合うかをよく調べてみつけていくのが正解かもしれません。いずれにしてもひとからおそわってやるものではなく、ということは時間と手間がかかるものです。

 

改良品種はそれではまったくだめかというとそんなこともなく、いいものももちろんあります。虫に強いものもあります。この点はどちらかというと農法にすごくおおきなウェイトがかかると思います。

改良品種の問題点として特筆すべきおおきな点に、品種の初期特性の時間的経過による変質・ブレがあります。新しく品種を開発したときある程度の不安定期間を超し安定してから公表・実用にするものと思われますが、ひどい例として現行品種の北海道/ゆきほまれという品種は、市場に出た最初の2,3年はいわゆる低タンパク特有のへろへろでやっこい豆腐、しかし非常に甘い、という性質を示していましたが3年目ころからは高タンパク特有のしまりがよく引っ張り強度の強い凝固反応を示すようになってしまいました。だれがやってもそうなります。豆腐はたとえ甘みがあったとしてもその凝固の強さによって甘いと感じにくくなってしまうことがあります。つまりぴーんと張った凝固の強さを示すときです。口の中でほろほろとくずれていくほうが甘さばかりでなく"うまさ"も強調されます。

強制結婚させられたあとある方向に性質がぶれていくのが、無理な結婚の結果の場合多々あるようです。もちろんいつになってもなかなかぶれるようすをみせないものもあります。

あのナカセンナリも20年くらいいい状態が続いていましたがここ5,6年は高タンパク系の性質を呈していて気を抜くとおいしくない豆腐となってしまいます。寄せ方で、もとの味にはならないとしても、おいしくはできます。

(2015.3.02)

 

 

3.高タンパクと低タンパク

 

高タンパク性と低タンパク性といったほうがいいかもしれません。こちらは分析手段をもっているわけではなく、凝固の様相や豆乳の粘性をみて頭の中でどちらかに振り分けているので、厳密な意味での高・低の振り分けが正しくないこともありうるので、どういう反応を呈しているかだけの説明に注目してください。

食べる側からみると高タンパクのほうが低タンパクより栄養が多くて価値がある、というイメージがあるかもしれませんがこれはほとんど意味をなさないようです。高タンパクだと豆乳が薄くてもそれなりの堅さを確保できます。引っ張り強度・破断強度が高いためです。いいかえると少ない大豆の量で豆腐が作れるということです。これに対して低タンパクは引っ張り強度・破断強度が低いため、堅さの確保のためにはより濃い豆乳が要求されます。いいかえるとより多くの大豆が必要となります。

要するに栄養はどちらのほうの豆腐が勝っているということはいえません。

しかしそれならば高タンパクでより多くの豆を使って濃い豆乳にして豆腐を作ればいいではないかという疑問をもつかたもいるかと思いますが、実はこれは難物なのです。高タンパク大豆で濃い豆乳を作ろうとすると豆乳のありように問題が生じます。つまりどろどろになってしまうのです。

にがりを短い時間内に与えられた容器の豆乳全体に均質に分散させるにはとても困難となるのです。灯油になにかの粉末を混ぜるのと、重油にその粉末を混ぜるとどういう差になるかと言えばイメージがわくと思います。

 

低タンパクの大豆はそんなに数は多くありません。そしてほとんどは糖質が高くて甘くておいしい豆腐になります。

 

高タンパクの大豆はきわめて多いです。そしてまずいものもあればおいしいものもある。

 

従来は絞り機の関係で濃くしぼることが困難であったため、低タンパクはやっかいな大豆でした。それだけに濃く絞る努力をみんながするものですから、当然そうしてできあがったものは堅さを確保さえすればおおかたおいしい豆腐に仕上がりました。

それに反して高タンパクは低タンパクの発想から豆乳を濃く絞ろうとするとやっかいな問題が持ち上がって、味の点でかえってまずいものが多かったようです。

どちらもそれなりに加工は難しいのですが、自分としてはどちらかというと高タンパクのほうがむつかしいといえます。そして高タンパクには本質的にまずい大豆も多いので、それをぎりぎりまで追い込んでおいしくしてやる責務を感じます。大豆に向かないから、納豆だ味噌だ、醤油だという振り分けはしたくありません。

 

4.無農薬と慣行栽培(減農薬)

なぜ有機栽培と・・・、という表題にしなかったのかは私のサイト全体をながめてくださればおわかりかと思います。植物の成長・生育という観点からすると、肥料の中身よりも人為的に肥料をするかしないかによって分けたいからです。つまり堆肥をあたえるか否かで農法を分けて考えたいと思います。では堆肥でないもの(落ち葉そのもの、脱穀殻、雑草そのものの土への巻き込み・・・)の土への巻き込みが施肥に該当しないかというと、これもある種の肥料かともいえるのではないかとも考えられ・・・つまり植物性限定有機栽培ともいえるかもしれないので、それではどうしたらいいかということで農薬を使うか使わないかという単純な分類にしようかと思います。

 

 有機栽培は植物の意志(こんなものがあるかどうかわかりませんが)にかかわりなく、つまり植物が本来健康な生育(虫や気候変動に耐えられる等の形質を育成するための)をするために自然に必要としている以上のあるいはそれとはなんの関係もないただ人間にとって"甘くなったり、やわらかくするという"都合のいい性質になるようにするために過剰な栄養を与えているというのが多くの実態です。もっとも農業とは自然そのものではない。人間に食べやすいようにあくが少なくやわらかく、甘みが多いようにとオリジナルを変形してきたのが農の歴史ではないかと考えます。しかしこのことは、植物が生来もっている自然の中で生きていく力を減衰させていることも確かで、気温の急変動・害虫(ウィルス)の攻撃に対してどんどんどんどん弱くなっていくのが作物成長の実態ではないかと思います。

慣行栽培とはある地域で周辺と似たようなという程度の意味の栽培です。化学肥料も含め農薬も多かったり少なかったりとはいえ、基本的な考え方は同じです。見通しの良いところから眺めると、「いっぱい栄養を与えればうまくなる」という考え方からすれば有機栽培と根本的な思想は同じだといえます。肥料の中身と農薬の有無の違いがありますが、生育過程の"過保護"性は同じと私は考えます。

 

大豆は他の作物と違って田んぼの畦や半端な土地に植えられ、年貢となることもまず無く、商品作物(お金の代わり)に使われてこなかったことが逆に幸いして選抜改良・掛け合わせ改良のどちらによる品種改良の歴史も浅く、植物が野生のときに本来持っていたオリジナルな形質を延々と大昔からずーっと引き継いでいる、野生でないけど野生に近い農耕作物です。

したがってその栽培も基本的には野生性をありがたくうけとめながら、野生性に流されないかけひきをしながら人間に都合のいいようにたくさんとれるように工夫すればいいのではないかと考えます。

多収改良品種のように一反300キロというのは無理としても、150-200キロは品種の選択・栽培の工夫によってだれにでも簡単になしとげられる目標圏内にできます。そしてさらなる工夫で毎年同じ畑で大豆をという"連作"も可能です。森の樹下は毎年同じものが咲いては枯れ、の繰り返しです。

国はなんといっても、国民を餓死させないという基本目標を抱いているが故に、最低限成し遂げなければならないことは「たくさんとれる」ということを最重要項目として掲げています。農水の枠を越えてさらなる高い国家的見地からすれば、「よりたくさんのカネを得られる」ということを考えています。TPPがそうです。なにからなにまで"売り上げ"を基準に考えられてしまうと、農のなりわいは意味をもたなくなってしまいますが、みんながみんなマンゴーや1000円のリンゴやさくらんぼ、100グラム5000円の牛肉を作ればいいということでしょうか。米(は保護しすぎとしても)、麦、大豆、そば・・・は埼玉県全部を一社が耕しているようなお国の農業に収量・価格設定にかなうわけなどない。

 

自分の方針としては、加工という点からすると、自分の農場だけではこれから先どんなにがんばっても年間3トン程度が限度かなと言う見込みがあるため、もちろん問屋さんから買わなければ足りません。慣行もあれば減農薬もある。無農薬は高くて買えない、だから自分で作る。(2014年産は3トン少しオーバーでした)

自分の畑ではもちろん周辺環境には問題があるといえ、農薬は使いません。堆肥は植物性も動物性も使いません、カネもない。落ち葉と脱穀殻と保存不良カビ生え大豆等それにおからを若干鋤きこんでエサとしているだけです。雑草は草ぼうぼうまでにはいってないとは思いますがうるさいひとからみると"草だらけ"なのでしょうか。

 

有機肥料の施された枝豆は非常に美味です。ただしこれは大豆本来の甘さ・うまみではありません。わたしのは枝豆が目的で大豆をつくっているわけではありませんが、豆の味としては"本来"の味だと思います。別段"まずい"というわけではありません。肥料投与と比べると"淡い"かなという感じでしょうか。

うまさの基準は本来人間に生物学的にそなわっているものと教育的に訓練されてきた生活・繰り返し馴化によってつくりあげられた部分がありますが、第二次大戦後の豊かな社会によって培われた味覚は後者のほうがより優位にあるものと思われます。特に甘さ・グルタミン酸味は生物としての味感覚機能を狂わせているものと思われます。

 

職業上はかなりいい加減といわれるかもしれませんが、自分の使用大豆の二分法はと聞かれたら1.自分の畑で自分で播種・管理・刈り取り・選別・袋詰めしたものと2.問屋さんから買った物(国産がほとんどですがアメリカとカナダの非遺伝子組み換え大豆の美味品種も使います)、ということになります。国産大豆以外はすべてゲテモノという考えには与しません。とどうじに国産大豆でできたものはなんでもうまい、という考えも否定します。私の農園にはハンガリー産のGisenskaという品種から変異派生した大粒の美味なる青大豆が毎年蒔かれます。大豆を介して世界の農をつなげることも将来的にはあってもいいのかなと考えます。(2015.03.02)

 

5.GMOとnon-GMO

遺伝子組み替えと非遺伝子組み換えのだいずの対比のことですが、遺伝子組み換えは一般の大豆問屋さんルートでは流通していないため(売れないから!)、使用目的がほとんど限定的(食用油等遺伝子が破壊されてしまう食品)である業界にしか流れていません。したがってその形質の差異についてはわかりません。

栽培状は"ある特定の農薬に対して強い・枯れない"という目的で作られている、つまり特定の農薬会社の農薬を安心して使えるようにその農薬会社が開発・販売する、というしくみになっています。

味や凝固反応に関わる形質はほとんど普通のものと似たり寄ったりなのだと推定されますが、これを長年にわたって摂取すると体にどうかということはだれにもわかりません。

これらは医学の分野の遺伝子操作と緊密に関連している研究で、賛成か反対かというと立場・環境・境遇によってさまざまな意見がでてくることと思われますが、食物では反対・医学では賛成というひとが多いかと思います。矛盾している態度だと思いますが、遺伝子の欠陥に起因する病をもったひとにはおおきな希望となるものです。当事者にしか感じられないものを多く持っている問題です。

時間をかけて議論していかなければならないことですが、境界・限界をどこにさだめるかで答えの出しにくい問題となるでしょう。

使命感というよりも好奇心に動かされる科学者も必ずいるはずで、これからどんなことが起きてくるのかを想像すると不安がいっぱいです。

自分にはこの問題は語る資格はないのかもしれません。(2014.5.07)

 

 

6.豆腐用大豆と非豆腐用大豆


一昔前というか今でもこんな大豆の分け方があるのかどうかしれませんが、(大豆のタンパク質がにがりに対して凝固反応を示す限りは)非豆腐用の大豆などというものはないはずです。

それと同じことで、納豆用・味噌用・醤油用などというものはないはずです。

ただ煮豆用はあるかもしれません。大粒で甘み系で、ねっとりして・・・。

 

豆腐の重要な要素である甘みに関しては大豆の品種固有の問題として無視することはできませんが、甘みがゼロという大豆はありませんから「あんまり甘くないなー」とは思われたとして粘性とか触感、崩れ方・破断状況の操作でこの点は大いにカバーできます。どんなに甘くても触感最低の凝固失敗豆腐は全然甘くない触感良好豆腐にかないません(と、私は思うのですが)。

 

納豆業界でも糸引きが短い、長いということを盛んにいいますが納豆の価値って食べる側からいうとそれだけではないと思います。特に酒のつまみに納豆を食べたりしている向きには、糸引きは別にして"豆の味"は大切な用件だと思うのですが。

話はかわりますが小麦粉には強力粉、中力粉、薄力粉という区別がありますがこれもおおざっぱな分け方ですべての小麦粉はパンにできるのではないでしょうか。ただし異なった感じのパンになる。旨い・まずいは固定観念みたいなところがあるので、うまいまずいは多様性ということで評価を与えたらいいのではないかと自分では思います。

(2015.03.02)

 

7.黄大豆と色大豆


黄大豆とはいわゆる普通の黄色い大豆です、豆腐は白くなります。白といっても非常にたくさんの白があるんですけれども・・・。

色大豆とは黒豆、青豆(みどり豆)、茶豆、赤豆のことをいいます。

黒豆と赤豆は実は同類で、みなさんもご存知のように黒豆を浸けると漬け汁は黒ではなく紫であることを経験的に知っているかと思います。赤豆も実はその紫が薄くなったものです。両者共に血液さらさらのアントシアニンを含んでいます。

古代米でも似たような色分けがあり、この紫という色は植物の基本的な色のひとつであるような気がします。大豆の花も白か紫で、花の咲く前からどちらの色になるかは発芽してある程度たった段階でわかってしまいます。

黒豆と赤豆は色がついているのは皮だけで中身は白です。皮を脱皮して白い中身だけを使用して普通の白い豆腐をつくるひともいます。黒豆豆腐は黒と言うよりコンクリート色・セメント色になります。赤豆はあわい赤・ピンク色となります。黒豆は全国各地に分布しているものの、赤豆は岡山と山形がメインとなります。岡山のは白い粉をふくのに対して山形のはてかっています。ちょうど丹波の黒豆が粉をふき北海道のがてかっているのとの差異みたいです。

 

茶豆は全国各地に分布していますが、いわゆる褐色斑病による褐色豆もありますから注意が必要ですが区別は簡単につきます。茶豆の茶色は色が濃く明瞭な茶色です。皮が茶色で中身も茶色です。豆腐は淡い茶色になります。

だだちゃ豆の系統は蔗糖分が高く枝豆の時から甘く、豆腐にしてもとてもあまいですが低タンパク系特有のへろへろ体質になります。

黄豆や青豆の変異体としても茶豆がでることが多く、有名なところではミヤギシロメ(在来種ではありませんが)から大粒のおいしそうな茶豆が出ます。埼玉の春日部在来(黒と茶の2系統がある)にはやはり大粒の茶豆がありますが、このタイプは在来の大粒黄大豆や青大豆を栽培しているとよく変異体としてあらわれます。その茶色いのを蒔くと子供は茶色となります(他の変異体として現れた色豆も同じことです)。ただしこれらは高タンパク系でだだ茶豆のようなへろへろ性はなくぴしっとしまる傾向があり、ある意味これは欠点でもありますが寄せ方でだだちゃ豆にも対抗できます。

 

色豆でもっともポピュラーなのが青豆(みどり豆)です。茶豆同様皮だけでなく中身もみどりです。

美味なものが多く枝豆、煮豆、納豆向きの大粒の品種が多いです。

なお、皮だけ青くて中身が白い品種も多いのですがこれらは本質的には黄大豆に入れたほうがいいかもしれません。

サトウイラズや関東平野の山裾・辺地(山間部ではない)にたくさん分布している行田在来系の青皮中黄大豆はその例です。後者は鎌倉や江戸に権力の中枢がやってくる前、秩父の鉄の入手に容易な位置にあった行田に関東平野の権力の中枢があったという観点から行田から関東平野全域にひろまったと考えるのが私の推論です。研究者の間では長野中信試験場の御子柴先生が使った小糸在来が古くより有名な品種ですが、行田という地域の地位を考えると行田から他地域へ広まったと考える方が自然だと思います。

 

サトウイラズのルーツは長野県の飯山側栄村、たしかほくほく線とかいう鉄道で魚沼側の津南とつながっていた村で、先般の東北の地震では"とおい"大被害を受けた村として有名になった村です。これきわめて優秀な品種で、山形で作っても関東で作っても岡山で作っても福井で作ってもみーんな甘く・美味で高タンパクの凝固優良歩留まり良好のすぐれものになります、味の差はほとんどありませんでした。ただし反収はやや低い。しかしそもそも虫に強いのでそれなりに安定した量がとれます、欲張らないことです。

外見がまったく同じで別名の品種がいくつもありますが、性質が似ているのでおそらく同じものだと思います、農水省の研究所は登録のために持ち込まれたものの来歴に関してまでは調べようがないので持ち込んだ人の見解に従って登録するしかないと思います。しかたないといえばしかたないことです・・・が見方を変えるとかえって良かったともいえることになるのかとも思われます。将来的には遺伝子解析でそれぞれの品種のアイデンティティが確定していくことでしょう。

ただし在来種ブームになった15-20年程度前以後に現れたものの信憑性に関してはそのまま鵜呑みにはできません。在来種というネーミングがカネになるからです。ある土地にほんとにずーっと昔から(ずーっと、はともかくおじいさんおばあさんの時代から程度でもいい)あったかどうかの真偽は持ち込んだ人以外にはだれも、あるいはだますつもりが無かったとした場合なら持ち込んだ当人にもわからないかもしれません。

 

色豆全般にいえることですが、ややくせのある香りが出やすいということをあげておきます。個性だといってしまえばそれまでのことかもしれませんが。(2014.5.07)

 

8.新豆とひね豆・おおっぴね

 新豆はどなたにもご推察がつくように収穫されてから時間がたっていないという意味です。成分の中で水分率に着目した判別になりますが、だいたい10,11月に収穫して翌年の3月くらいまでを新豆といいます。一般市場に出回るのは相当早いものでも2月後半くらいからです。ほんとに"採れたて"が欲しければ農家実需者の直結栽培か、自分で作るしかありません。単なる契約栽培だと入札後とかいう(その年の値段を確定するため)条件がついてしまうので遅くなってしまいます。何から何まで手の内にということを考えるならば、その年の相場には関係のない最初からの値段設定の契約栽培、あるいは完全自分栽培になります。

 

おそばやお米同様、"新"の状態では豆は水分率が高く凝固が大変で非常に柔らかくなってしまいます。一見みずっぽいと感じる味ですが実はその後失われていくうまみ・香りがたくさん入っていて美味この上ありません。豆はその時期時期ごとの味を楽しめばいいわけですが、ほんとにうまいのは3月までだと思います。

だからといって一年中新豆の味を出すためには強冷蔵保存しなければならず、コストがかかってしかたありません。また"季節感"という観点からも徐々にひねていく味を楽しめばいいと思います。ただし良く言われる"熟成"という考え方はまちがっていると思います。ひねていく味を観念的に"熟成"ということばで抽象的に言っているだけのように思えます。具体的に甘み・うまみの成分が"増加"しているというのであれば、それは抽象ではなく事実ですが。

いずれにしても新豆の時は膨大にあった味やうまみ・香りの要素が整理されていく過程がひねるということかもしれません・・・味のまとが絞られていく。

 

凝固反応という観点からはひねるに従いしまっていきます。寄せやすくなります。

 

さらに進んで2年目となると、きちんと低温保存されなかった場合は凝固がきわめてシビアになります。新の時凝固許容範囲(にがりの量、凝固温度)が10あったものがおおっぴねだと1とか2といったきわめて狭い幅になってしまいます。実はこのときこそにがりの寄せ技術は進化するのですが、できたものはまずいというか甘みは残ってはいるもののそれを取り囲んでいる味が苦みに変わってきます。両者の打ち消しあいの程度によって商品化を決定すればいいわけですが、"苦い"と感じたら即廃棄です。

もっとも好きこのんでおおっぴねを買う人はいるわけもなく、景気が悪くて契約分どうしても残ってしまったというような場合はこういうことが起こるのです。したがって消費者のみなさんはひいきのお店があったのなら、ちょくちょく通ってやって古い豆を早く使い切ってもらうことが肝心なことです。

うまい、は作る人だけの努力ではだめで買う人の協力が大変重要なことになります。(2014.5.08)

 

 8.寒冷地と温暖地/昼夜の温度差と大豆

 

 野菜や果物ではこのことはさかんに言われていることで、昼夜の温度差の大きいところでは糖質が高くなる、つまり高原とか北海道・東北・長野とかいったところの産物はおいしい、ということが既成観念としてほとんどの消費者には植え付けられているわけです。実際おいしいものが多く、はずれはないようです。

さて今述べたことを大豆に適用すると、北海道・東北・中部山岳の大豆はうまくて関東平野や関西圏以西の大豆はまずいということになります。

現実はどうでしょうか。

我が家は北海道富良野市関係者のためほんとうは隠しておきたいことがらなのですが、現実には野菜や果物に適用されている既成観念は当たらないということを言わなければなりません。

関東平野でも九州でもきわめて甘い大豆がとれます。

これはどういうことなのでしょうか。

農総研(農業試験場のこと)関係はこのことについて説明していません。一年に一回しか生産できない地域への配慮が働いているのかもしれません。

 

十勝平野に過去、改良品種ではありますが十勝長葉という小粒の大豆がありました。だんだん作る人が限られてきて最後にはひとりの人になり、やがて連作障害云々ということになり作るのをやめてしまい、それではと山形で作ったところ量的にはそれなりにとれてしまいました。

さて問題は味です。

十勝平野でとれたオリジナルは低タンパク系の凝固反応を示し、それこそ音更オオソデフリを彷彿とさせる非常に甘くて野の味もたっぷりなサトウイラズ並みのおいしい味をしていましたが、山形で収穫されたものは明らかに高タンパク系の凝固反応を示ししかも味は甘みがあることは確認できるのですがそれを隠して余りある野の味がありすぎてまったくおいしいとはとてもいえないものになってしまいました。ただ加工の回数を重ねれば寄せの工夫によってそれなりにうまい豆腐とはなりますが、とても十勝のオリジナルには及ばないものとなってしまっています。

これはいったいなんなのでしょうか。

自分の推論としては帯広・山形共に寒冷地とは言え温度差の大きさはそんなに違わないとしても日照時間がちがう所に問題があるのではないかと考えます。つまり光を浴びる量が少ないほど"青い部分"の生育が弱くなるのだと思います。たとえていうと色白肌と浅黒肌のちがいみたいなものです。山形のほうが緯度が低いので光を浴びる量が多い。このことで"青く"なる部分が強化される。甘みは別用件だと思います。つまり野生性がより強く生育するのだと思います。

つまり甘みはどちらにもあるかもしれないが、それとパートナーを組む"青味"の強弱が地域差によって生じるということです。ひょっとしたら甘みは品種固有のものかもしれません。

山形で高タンパク系に移行した原因については推論できません。

 

ちょっと話のずれがあったかもしれませんが、甘みの程度で言えば北海道のもののほうが福岡のフクユタカよりあるのかもしれませんが、"野の味/野生の味"部分はフクユタカのほうがあるかもしれません。北海道のほうがすっきりと甘い、悪く言えば単純に甘い。南へ行くほど甘さ以外の味が増えてくる。増えすぎるともちろんまずくなる。

 

まあいずれにしても推論なので参考にもならないかもしれませんが、甘い豆腐は北海道から九州までそこここにあるという事実だけはたしかです。どうして九州でも甘くなるかについては研究者に調べてもらいたいことです。私にはできません。

 

北海道や東北の足を引っ張るようなことをいって申し訳なかったのりですが、実はおきなプラスポイントが寒冷地にはあることを最後に述べます。

寒冷地は"虫"が少ないということです。

特に北海道は冬を越せずに死んでしまう虫が多い。

このことはつまり寒冷地は無農薬栽培にきわめて有利だということです、反収もいい。

一年に一回しか栽培できないというデメリットは裏を返せばメリットでもあったわけです。

表示して無くても、つまり無農薬でなくても、農薬使用量は圧倒的に温暖地より少ないというのが寒冷地の恵まれたところでしょうか。(2014.5.09)