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自分探し、について


2004.11.04


動乱のイラクで20代の青年が旅行中に殺された。
新聞では「自分探し」でイラクに入る・・・・と書かれていたが、この事件そのものについて語る資格があるほど持ち合わせの情報は自分にはない。本人の心の奥底は結局はわからないと思う。
台風・地震と過酷な試練にたたされている多くのひとたちの苦しみに思いをはせなければならないのはもちろんのことだが、これも気の毒な事件であった。


さて私達は何を職業にして生きていくかという選択の時にほとんどの場合偶然・いやいや・本人にかかわりのない外部客観条件・・・・等から決まってしまうというのがほとんどであると思う。90パーセントはこのタイプではないのかな。
 ・・・会社入社、・・・の資格取得・・・・・といっても、「自分探し、生きる」という深いレベルの内省のあとの決断ではないと思う。世間体、派手さ、収入・・・・・。
それほど職業選択時のきっかけなんていいかげんな場合がほとんどであるはずである。
食うためにはかならず働かなければならない。
自分の「したいこと」がそのまま収入源になるのならばそれにこしたことはない。

スタートはなんでもいいと思う。

悶々としてころころ職業を変えている若い人もいると思うがまあ20代なら何をやってもいいのではないかと思う。

ただここで問題となるのは年令に関係なく日々「生きる」ということについての深い内省を積み重ねていくということである。職業には関係ない、社会的地位でもない、収入の多寡でもない、地味・派手の差でもない。

フリーターという、日本人の造語能力もここまできたか、擬似英・独語があるがこのての青年が多いようである。
派手な職業で成功したひとたちのなかにはこういった「若き日」を経過したひともたくさんいるので、それらのうわべだけをまねしたがる若人達も多いと思うのだがちょいとまってくださいねと言いたい。
いわゆる「成功したひとたち」というものは、外見以前の「生きることについての内省の深さ」を持っていたはずである。ひとつのことに対する強い「ねがい」をずーっと持ちつづけていたはずである。

何かを希求しつつ、今はこんなだけどいずれは・・・・、なにくそとがんばっているひとはたくさんいるはずである。

いやいやながらついた職業でも、前段のあきらめをスタート地点で納得したとしても「生きることについての深い内省」を日々繰り返しているものにはかならずそのいやいや職業のなかにも「自分用のみち」を見出せるはずである。
世間基準の成功・不成功などどうでも良くなってくるはずである。

自分が発見し切り開いた道を歩いたり、走ったり、ちょいと戻ってみたりするのはこの上なく楽しいはずである。
幸せの基準は内面にある。

50ぐらいになると人生の(いわゆる"世間基準"による)成功・不成功というものを大方のひとは意識しだすと思う。
外側の基準。
こんなものいらない。 

学校出て"自分にもっともフィットした"職業に就くこと、それで自分探しが完了・・・・・、うそだー。
一生自分探しである。
自分の道をルートファインディング、あるときは藪をこぎあるときはうすーい踏み跡を探しあるときは潅木を払い・・・・、
最後にたどり着くのは見通しのいい"ピーク"とは限らない。暗い谷の中、お花畑、暗い林床、明るい林床・・・。
フィニッシュはなんだかわからない、でも自分自身を見つめ自分自身と対話しつづけてきた人には、それがなんであろうと、満足とまではいかないまでも自分にやさしくできるはずである・・・たとえ世間基準の敗者であっても。

自分の周りには"直らない"病にかかってしまっているもの、障害をもっているものが何人かいます。
でもみんな明るくなにかに打ち込んでいる。
深く自分をみつめているひとたちばかりである。

若いひとたちよ、夢中になれるものをひとつ持て!
幸せの基準を外に求めるな。

生意気言ってすいません。


続く
なおこのページは突然消去することもありうるのでご了承ください。内省の足りなさを感じます。