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所沢周辺の在来大豆について
わたしがこどものころ裏の物置の隅はみそ蔵になっていていつも真っ暗でじめじめした感じのところに入っていくのがなんとなく気味が悪かったのを覚えています。
祖母は畑で作った大豆を味噌にしていたわけですがその大豆が何であったかについてはもはや知るよしもありません。父に聞いても大粒というだけで芽の色や形については記憶にないようです。
去年の熊谷の試験場での会議でみせていただいた明治時代の文献の作付け分布図によれば鬼裸が川越近辺に蒔かれていたと記憶するのですが、鬼裸はたしか小粒だったような気がするのですが・・・。
府中や田無近辺で収集された在来大豆が今大豆栽培のページに掲載されている"りせん"のことですが、目と鼻の先のことなのでこの可能性も捨て切れません。
また戦中は朝鮮半島からの白眉がさかんに入ってきた時代でもあるので、それを蒔いていた可能性もあるとのことです、・・・白眉は大粒。
いずれにしても完璧に調べたわけではないので断言はできませんが、所沢で昔から自家採種しつづけて大豆を作り続けている農家の存在は聞いたこともないので真実が明るみに出るのはいつの日になることやら、「わからない」という答えの可能性も非常におおきいのでむつかしい課題といえます。