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奨励品種でも在来種でもない負け組み品種

さまよえる実験品種
2004.10.13

奨励品種というのは言わずと知れた"助成金のもらえる"品種のことです。このことによって加工する側・消費者は安い価格で国産大豆・製品を安く手に入れることができるわけです、現行価格よりもさらに2倍程度(大豆単体の価格)するのが税金をつぎ込まない場合の価格とお考えください。もうかるお米と比べてその差をうめようと、農家の収益の不足分を税金で補ってやるというこのシステムも近々消滅していくことになっています。お米の過保護から生まれてきた時代の「お荷物システム」と考えられているようです・・・もっともこのおかげで国産大豆は安く買えしかも末端でもそこそこ手ごろな価格で販売できるわけですが。

奨励という言葉が何を意味するか、ですがあくまでもこれは農家やその使用者にとっての効率性・収益性がもとになっている、つまり多収である、病害虫に強い、コンバインで刈り取り易い、加工適性が良い・・・・ということでそれはかならずしも食品材料として「美味を極める」というスタンスを優先して選ばれた姿勢でないことはあきらかです。
もちろんうまいほうがいいに決まっています。しかしその優先順位が最後に来てしまっていることに難があると私は思っています。
ただし使う側・食べる側の観点だけから「あれを作れ、これを作れ」というのもわがままというもので「なんでも買う側がえらい」という思想の発露みたいなものと言えると思います。「農家がもうからないもの」を作って欲しければそれなりの高価格を支払わなければならないということをきちんと認識していなければなりません。

在来種と言うのはことばそのものつまりもともとその土地にあったもの、ということですが近代農業からすると量がとれないとか病害虫に弱いとかといった経済的観点からは劣ったものが多いと見られている品種たちです。品種改良はこれらオリジナルの「良さ」を生かし欠点を補うようなかけあわせのもとに研究開発されているようです。そして改良に改良が重ねられていくわけですがその過程で捨てられていくもの、一度は奨励品種になりながら数年で捨てられていってしまったものはたくさんあるわけです。過酷な生存競争の世界です。

大豆を実際に使う側から言うと、現実問題としては価格や入手可能性の見地から奨励品種のなかから各自の好みで選んでいくのがほとんどですがごく一部の物好き・マニアック・その土地の居住者・・・たちが在来種や負け組改良品種を使ったりしているようです。

製品となってどれが一番いいかというのは短絡的に結論付けることはできません、あくまでも製作者の技量のほうがはじめにありきといえます。といいながらも最終的にもっとも大事なのはお豆さんのちからなのですが技量のないものがさとりをひらいた職人たちがそろって口にする「すべては材料に尽きる」という発言は空しいものです、ほかの職業でも同じでしょう。

在来種から始まっていろんなもののかけあわせのなかから「良きもの」が選ばれ採用されさらなる品種改良に利用されていくわけですが勝ち残っていく勝組みの陰には実に多くの負け組み品種が存在することに留意しなければなりません。その「勝ち・負け」の線引きも先に述べた経済的優位さが判断の基準になっています。人生の勝ち・負けなんてえのもこんなもんでないのかな。

数え切れない・・・というのはおおげさのやうに思えますが実際農水省に登録されない実験的なものまでいれると数え切れない数の負け組大豆という表現もあながち誇張といいきれないかもしれません。

負け組み。いやなことばですが自分の人生と重ねあわせると捨て置くことができないのです。なんとか浮かびあがらせてやりたいのですが・・・うまいのであるならば。

しかし豆の入手には困難が予想され相当な覚悟・出費・ヒマを要求されるものと思われます。
市場での敗者復活はまずありえないでしょうが志あるちいさなお店のがんばり屋さんたちによって日の目をみる日がくることを夢見るばかりです。
特に近所に昔から伝わってきたとかちょい昔に使われていたが今では使われなくなってしまった、だけどほんとはうまい・・・などというものはぜひともその土地のがんばり屋さんたちが実現してくださいね。
現実に行動にうつしているかたも何人か知っています。