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男前豆腐店
久々に脱帽いたしました
2005.9.01
自分と同業の他人の作ったものを認めるというのはなかなか「出来ないあるいはしたくない」というのが人間の悲しいさがですが、他人の作った豆腐を食べて脱帽せざるおえないということを久々に体験しました。
一度目は25年程度前の池袋西武の「てづくり朝日」のもめんと寄せ豆腐(たぶん安曇野ナカセンナリ)・・・にがりきぬの技術はまだなかったようでしたが、
ニ度目は5年くらい前のお花茶屋の新井さん(埼玉屋)のタマホマレのにがりキヌ、自分のより甘かったです、
三度目が今回の男前豆腐店のすべてのアイテムです・・・お嬢さんというのが雜味の出し方に若干問題はありましたが。
男前豆腐店は大手とは言え豆乳を出したあとはまったく手作りということで濃度と煮方と・・・と寄せの勝利といえます。えらい甘い。
触感はつるつるで大きな凝固体が均質につるつるであると言えます。
この均質さは・・・することによって簡単に達成できますが、この高濃度ででなしとげたということが脅威でこの方法論はある意味で日本豆腐製造史1000年の歴史の中の革命と言えると思います。・・・このほかにわが業界に革命的といえる事態はないと思います。煮ることも絞ることも・・・絞り機はプチ・レボリューションといえるかな。
場合にもよりますがグルコンやすまし粉豆腐よりも緻密なつるつるさといっても過言ではないと思います。ずっと前に「やり方によってはにがりはグルコンよりも木目細かくできる」と述べたことがありますがそのことを実証している稀有な例が男前豆腐店のアイテムたちです。
甘味に関しては品種を選んで近いところまで出すことは可能ですが「つるつるさ」に関しては自分にはまったくお手上げといえます。
もっとも自分はグルコンやすまし粉のつるつるさに反抗して「1.もっとつるつる、2.まったく別のつるつるさ」という方向のうちの後者で自分のスタイルを確立しましたがある意味でそれは1.からの逃避ということも言えなくもありません。
2.はいわゆる「ほろほろくずれ」のことですが、それはグルコンやすまし粉の剛構造への反発から来ているものです。
かといってざらざらのもろもろを意味しているのではありませぬ、それは問題外の失敗です。
一般に無消泡剤の豆腐は顕微鏡的レベルでは、極低温(豆腐業界の極低温とは50度台以下を指す)の寄せや低温から立ち上げていく熱燗法は例外として、ムラに凝固しています ie
]凝固した小さなかたまりが無数に群れをなしている、といえます。このひとつひとつの群れのつながりのゆるさが「ほろほろくずれ」になります。寄せ方によっては「荒れ」と感じられることもありきわどい勝負となります。
この「はかない構造」を日本人の無常感と結びつけたところにわたしのこじつけ=真骨頂(自分にたいして使うことばではありませぬが、ここではお許しください)があるわけですが、男前豆腐店の柔構造の均質・つるつると自分の分散つるつる集合体とを比べたら自分を理解してくれひとのほうが少ないかなと思います。
自分は基本的に70度以下の低温寄せからはほど遠いところにある(基本的には80℃〜85℃)ので全体・均質つるつるの世界に入っていくことは考えられず、今の分散つるつる集合体のほろほろくずれをきわめていくしかないですが理解者がどれだけ獲得できるかなー。
あとは雜味の抽出とその洗練をきわめることです。青臭く感じられるとアウトです。
それにしてもここまできわめ尽くされた大手の技術の前に町店はなにをしたらいいのだろうか、議論したいところです。論争が必要です。
すくなくとも「この大豆やにがりの素性はこんなにりっぱな・・・」ということを最前面に出した「食の楽しみ」ということを認識していない議論だけは避けたいもので、ものつくり/食べ物の場合に肝要なことは「うまい」ということだけです。これはこんなにうまいんだけどところで材料の素性は・・・?という議論になるのが正論で、「これはこんなにいい素性の材料を使っているのだから・・・・」式の主張は本道ではないと思います。もちろんうまくさえあればほかのことはどうでもいいということではないですが。
このストラディヴアリウスはどこどこの山の・・・・側の斜面の・・・地帯の・・・の木を使っているからいい音になるのだというヴァイオリン製作者が自分を出そうとしない極上の謙虚な言葉が至言であるとしても、どこどこの山の・・・・側の斜面の・・・地帯の・・・の木を使っているというただそれだけのことを持ち出してこのヴァイオリンはいい音に決まっているという言い方は愚かであるということはだれにもわかることでしょう。
町店はどうすればいいのだ。
2007.2.15
終戦によって荒廃した食の質は経済成長とともにじわじわと改善されてきたとはいうものの、諸般の事情によって豆腐関連は極めて遅れてしまった分野といえます。
農業の逼迫にすべての原因があるといってもいいほどの農政あとまわし主義が続いてきたわけですが、その当の農政を軽視してきた機械工業の繁栄によって潤った経済がやっと"農"を市民に意識させるもとになってきたことも事実です。
私が親を眺めていたこどものころはとにかく"薄利多売"主義で国産の大豆云々などというのは一般の市場にはまったく縁のないものでした。
戦前までに1000年かけて築き上げられた豆腐文化を再構築しピカソ並みの創造的破壊のもとに見事な戦後(でありながら1000年の伝統の軌道にちゃんとのっている)豆腐ワールドを作り上げた立役者に私は3者の名前をあげたいと思います。
先手をきったのは埼玉の茂木豆腐店さんです。国産にがりと国産大豆、油も国産といったうように業界全体を引っ張ってきた功績は大きなもので農家の大豆に対する意識・意欲の向上にも寄与しています。茂木さんを見本に切磋琢磨し繁盛店にまでなったお店は各地にあると思います。
2番手は埼玉の渡辺さんで、彼は大豆の調達・品種・地域おこしという観点から全国のちいさいけどがんばっている豆腐屋へ多大な影響力を与えてきたと言えます。単に国産・・・、というだけの能書きでなく農家の育成(煎じ詰めれば地域の活性化)にまで及ぶその功績は業界の鑑といえます。
3番手が本題の男前豆腐店です。伊藤信悟という若い社長さんです。ここは出身が大手の2代目で町店からするとねたみ・憎しみの対象になっているかと思います、繁盛すれば繁盛するほど。しかしこの職業の中にいないと評価できない点もあるのでこの文章を書いているわけです。
彼は職業についた最初から豆腐屋をしていたわけではなかったと思いますが、それだけに業界を客観的に眺めることができ"変な先入観"にとらわれなかったものと思われます。先般述べた福岡県の和田さんをみてもわかるように一ヶ月の試行錯誤で何十年もやっている職人よりもうまいものが作れてしまうのです、安定性は別ですが・・・。
彼の最大の功績は"食物の本質はうまさである"ということを言葉だけでなく商品の質で示したことです。しかも文科系でありながら理科系の知性は彼に"終点の満足"を与えることをゆるさず、たゆまない創造的破壊の道を邁進させているのです。若いのでまだまだ得体の知れない展開がありそうです。
彼の豆腐は日本で一番甘い。
特に最近のものは"塩分で甘みを作る"という手法を脱皮・超越してしまった技法もうかがえその知性・感性の高さには頭が下がります。
全国津々浦々に"豆腐は甘いものである"という事実を認識せしめた。
しかも彼のにがり豆腐は本物である、先般食べた温泉土産の甘味料・油脂添加の豆腐と正反対である。
全国に基準を知らしめたことになります。
彼によっていままで豆腐を意識したことのないひとも意識するようになった、こないだの納豆パニックみたいに。たぶん国際的にも通用するものと思われます。
さてそれでは町店はどうしたらいいのかということですが実は彼の豆腐は我々に暗に"進むべきある方向性"を示しているのです。これをどのように各町店が解釈するかですが、その答えは時間が与えてくれるものと思います。努力しても必ずしも報いられないのがこの世の常ですがそれでも作り続けるのです。
我々が向かうのは彼と違う方向でなければならない、ということだけ述べておきます。
大豆加工業会でここまで熾烈にしのぎを削っているのも珍しいのではないかと思います・・・手前味噌かな?
と、同時に大豆農家のかたがたへの応援にもなっていることを述べてこの文章を終わりにします。