TOPのINDEXへ

脱皮大豆について

赤豆とすずかりにて
2006.10.02

脱皮大豆が注目されている。
実はこれは30年も前から周期的に話題にされてきたものでいまに始まったことではない・・・しかしその議論の質はまったく異なる。
昔は消費者団体先行の「衛生的見地」がおおきな比重を占めていた、もちろん「まろやか」云々も含まれてはいたが。
しかし脱皮による欠落大豆の比率は無視できるものではなく100のうち20-40はごみとなっていってしまうというばちあたりな経済的損失ゆえに長くは続かないのである。忘れたころにまたはやりだす。
今回のは主旨が明快である。味の観点からである。日持ち云々も基層を流れる価値としてもちろんしっかり認識されてはいるのだが。

さて脱皮機とは何なのか。大豆の皮むき機、ころころところがしてなにかとなにかの間に挟みこんで皮をむき将来双葉になるべき種を分裂させることである。・・・つまりこの時点でタネはある意味で死んでいる、完全にはということではないだろうが。
安物で300万程度と言うことなので絞り機やボイラーの価格を考えれば数俵程度の町店ならば買えない機械ではないのでそわそわと落ち着けない企業が多いとのことである。

すずかりと山形赤豆の脱皮されたものがとどいた。
きれいに二分されたタネが粉を吹いた状態である。
水に漬けると漬け箱の壁にあるいは割れた豆同士がひっつきあってかき混ぜがやっかいである。
漬け時間が早いので注意が必要だが涼しくなったこのごろでは8時に漬けてもなんでもないのかなと思った、なにせ6キロしかないので比較研究はできない。
翌朝の漬け水は白濁して牛乳のようである。
もったいない、と思って漬け水にて豆を挽く。

すずかり。普通より濃く出てしまうとの前情報が入っていたので加水をやや多めにしたら薄くなってしまった。普通の加水と同じでいいと思う。糖度計では調べてないが絞り機からの出方で大方濃さの見当はつく、・・・薄い、14度くらいだろう。
豆乳はさっぱり系のとても甘いものになったが、すずかり自体そもそも単純甘み系なので皮を剥く意義は感じられない。惜しむらくはしばらくすずかりをやってなかったことと、手元に比較すべきすずかりのオリジナルがないことである。豆乳うまし、豆腐もうまし、でも比較ができない。

山形赤豆。こちとらはしょっちゅうやっているのでわくわくであった。
脱皮した豆はおからが真っ白であった、豆乳・豆腐も真っ白であたかもミヤギシロメのやうであった。味は・・・例の赤豆の"くせ味"がすこしあるとはいうもののすっきりとした非常に甘い味となる。くせの出ないミヤギシロメとそっくりとなる。皮が付いたときには"くせ"を「うまみ」に転じるのは非常にレベルの高い世界の技術になるのだが、皮がないとなるとへたな煮方をしてもまず「まずい」ということは起こりえないと思う、しかし色は付かない。

この2例だけから結論付けるのは恥ずかしいことなのだが大筋はつかめたと思う。
大豆の「えぐみ」といわれるものは皮に存する。
これは煮方によってうまみともまずさともなる。
つまり作り方が安定していないと・・・というより見極め技術が身についていないと商品の味はいつも不安定となる。
広範な販路をもっている企業には困ったこととなる。
あそこで買ったのとここで買ったのと味が違う、きのうときょうで味が違う・・・。
品質の安定を求めようと思うと当然「脱皮」になると思う、しかも「いいほう」で安定しているのである。
ただその「いいほう」は最高ではない。
実は豆味は「皮のえぐみをうまみ」に転じることから、より高位の状態を獲得するのである。
皮を最初からはいでしまうということはその「努力」を放棄することにある。
精密機械組み立て工業と小規模食品製造業のスタンスの違い・類似性を例にとる、やや無理があるかもしれないが。
高精度の部品はそこそこの規模の量産からしか生まれない。
部品の精度の誤差を最初から認識して「調整」によって完璧を生み出すライカに対して部品・そしてその組み立てから完璧を目指したツァイスのカメラたちの50年、100年後の性能がどちらに軍配が上がったかは歴史が事実として証明してしまっているが、わたしたち小規模食い物産業がめざすものはライカ社の姿勢である。
スタートから寸分の狂いも無い加工を提示する必要はないのである。すこし"ずれ"ていていいのである。組み立て・技術が調整していく。
スタートで完璧であったがゆえに完璧修理不能のツァイスの生き方自体町店の流儀にはそぐわない。
すべての基本は"遊ぶ心"である。

全国レベルの企業には脱皮を薦める。

町店は遊び程度には使ってもいいがそれは300万軽く出せるお店に限る。
それよりも町店に必要なのはいろんな"場合"に即時対処できる技量である。
豆乳自動プラントは廃棄せよ、豆は確認しつつマニュアルで炊くこと。

さらにもひとつ大事なことは昨今話題なっている細かい大豆の栄養分はほとんど胚芽周辺・皮にあるということである。これを買ってくれるひとたちに説明しなければならない。そして味の出方の変化を楽しむことである、これも食べるひとたちに説明しなければならない。

最後に。
品種や地域の名産、を売り物にしている企業は・・・よほどの大量生産をしている場合は除き・・・絶対に脱皮してはいけないということである。皮は個性なのである。皮をはぐということは没個性となるということである。"地域"を売る、という姿勢に矛盾する。地域は「そこの個性」を売ろうとしているのではないのか。

さらに農家の気持ちから言えば、脱皮大豆は首を傾げざるを得ない方法論となるだろう・・・・日本酒の世界にも、「・・%」削る削らないの領域がありますが。
作物を実際に育ててみないとこの気持ちはわからないことである。


あくはちからなり  辻 嘉一