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大豆のユーラシア大陸分布について
エジプトでも5000年前に大豆が栽培されていたというのが考古学会の最近の知見のやうですが、ヨーロッパで大豆が知られるやうになったのは大航海時代の最後のほうの成果のひとつではなかったかと思われます、胡椒などと並んで。
ただし想像をたくましくするとシルクロードの時代、モンゴル帝国の東欧遠征なども中国の大豆を運んだおおきな要因と考えるのはまったくでたらめの想像だと、否定することはむつかしいことと思われます。
またドイツは別としてフランスや東欧で大豆が育ってしまうということを考えると原始時代から野生種があったという仮定も成り立ちそうなので考え方によってはすべての大陸がひとかたまりにくっついていたとき・・・このときに普通の植物があったとしたら・・・あちらこちらに大豆があったとも想像できます。
ジャワ島には大豆がたくさんありますがこれらも中国から流れてきたというよりはもともとあったのではないかと考えられます。
とにかく大豆の植物としての生命力はすばらしいもので世界のどこでも、特殊な例外を除いて、育ちそうな気がします。
さらにこの強い生命力を持ってすれば遺伝子組み換えなどしなくても十分人類を救える方向に大豆自身が環境適応していくやうな気がします。生命には危機のぎりぎりのところで"生き永らえよう"とする活動が働き始める。
また農法に関しても好き好んで虫を呼び寄せるような重い有機質肥料をたくさんまくような、自然界の循環からわざわざ逸脱を生じさせるような"人間が描いたここちよいイメージの"大豆栽培は否定されていくものと推測されます。
そんなにたくさんとれなくてもいい。
そこそこ取れて安定していればいいと考えるべきだと思います。
そして食糧は安くて当たり前という発想自体現代文明の間違っている認識だと考えることが重要です。
狩猟によって日々の糧を得ていた時代は食べ物は自分のいのちとイコールの重みがありました。
文明とやらの進行によって食物の重みはしだいしだいに下がっていきます。
一過性の軽薄な"知的、こねあげ"生産物すらより低くとらえられています。
食物は人知を超えた天与です。それを評価しないのは人知を超えたものに対する畏敬の念がないからです。
先進国人は思い上がっているのです。
いのちと日々向かい合っている"農のひとたち"の重みをかみしめなければなりませぬ。