全国の大豆農家の皆様へお願い


 去年に引き続き黒豆の大暴落(するかどうかはわかりませんが・・、廃棄するひとが出るかも)が起きそうとのことです。相場というものは困ったものですがどうしたらいいんでしょうかね。

 色豆のブームで黒豆、青豆、赤豆、茶豆、くらかけ豆とあちらこちらでみかけるようになりました。豆腐屋が需要しているということですが、消費者はそんなに需要しているわけではありません。
 もの珍しさのため初めのうちはいいのですが自然と低落していきある程度のところで落ち着きはします。

 実際、"色"を除けば味は作り方を間違えるとえぐかったり陳腐な味だったりでかえって黄豆のほうがうまいということがバレてしまいます。
 実際"ほんとにうまい"ものは黄豆のほうに軍配があがりそうです。それだけヴァリエーションに富んでいる、しかもへんなくせは比較的少ない。

 大豆は豆腐屋が加工しない限りおいそれと減っていってはくれません、余ったものは・・・。
 
 "おもしろみ"演出のために少量の需要は安定して続くものと考えられますが、色豆の代表格"黒豆"の用途でわかりますように、結局は煮豆なのかなと考えられます、これは続く。

 単価が高くて高収入・・・なのですが売れなければ話にならない。
 それよりも黄豆のおいしいものを加工者を選んで作ってください。農協へは出さないでください、補助金はいりません、高く買う人は確実にいます。色豆はそうは需要はありません。

 枝豆と煮豆屋さん行きでで全部売り切る程度の目論見でいいものと思います。ちょびっと残して豆腐屋へ、というところでしょうか、少なければ高くても買うでしょう。
 


農家の取り分
2006.11.04


 補助金のしくみはよくわからないのでそれを無視して・・たぶん無視できるような微々たる補助だと思いますが・・・12000円の準高級銘柄大豆があったとします。
 効率のよいすぐれものの絞り機を使えば濃度15度程度なら一匁(豆腐の重さの伝統的な全国基準)のきぬとうふで300はとれるでしょう。
 すると一丁は40円の大豆代となります。間に問屋さん・運送屋さん・倉庫屋さんが入ると農家の取り分は35円くらいでしょうか。
 一般に知識集約でない単純製品の消費者渡し価格は主原料の10倍がふつうではないでしょうか。
つまり今の場合400円です。
 量販店への高級豆腐の卸価格は5-7掛けくらいでしょうか。200円程度でしょうか。
 農家の取り分       35±α
 豆腐製造業の取り分   200−(35±α) αは水・にがり・電気等の有形・無形の材料のみ、20円くらいか。
 小売店の取り分      400−(200±α) 電気・水道・広告・ガードマン・駐車場といった"材料"。

 従業員の人件費はすべてはいっていませんがそれはすべてに共通の部分です。
 これはパーセントで割り切れる計算ではないと思います。
 金額の絶対値そのものが問題です。

 農家はこんなにもうからないのです。
 こういったことは農家のかたには書けないので私は書いちゃいますが農を馬鹿にした姿勢は江戸時代からまったく変わっていないのかなと思います。
 豆腐はほんとはもっと安く販売できるはずです。
 間が多すぎるのです。

 自然・いのちへの畏敬の念、愛国心といったものは"農"から始まります。食べ物です。農家がまっとお金のことなどにひやひやせずにたっぷりとした収入を得られるようなしくみが必要だと思います。

 売れればの話ですが、
 豆腐屋はもうけすぎです。
 小売店ももうけすぎです。


農業の与件
2006.12.09


 国が、政治家が、マスコミが・・・そしてほとんどの国民が農業に対していだいている"当たり前の前提"と考えていること・・・に次のようなことが考えられるのではないかと考えます。
 1. 食糧は安くなければならない。
 2. 農業人口は減るだけである。
 3. 大規模化推進は当たり前である。
 4. 反収量(反収入ではありません)は高ければ高いほど好ましい・・・単価は低く反当   りの"取れる"量によって。
 5. 農薬は少なければ少ないほど良い。
 

 5.は動かしようの無い真理としても、1.〜4.は「日本地図をさかさまに見る」という逆転の発想に考えると、さまざまな反省点が見えてくる事と思われます。
 今回は提言だけにしておきます。
 いずれ気づいたことを書いてみます。


木村秋則さんの番組を見て
2006.12.14


 これを見て涙したひとは多いことと思われます。
 なんと「こんの青山在来」のこんのさんが番組の中にいらっしゃいました(あとで本人に確認とりました)。木村さんに教えをこう私淑の弟子さんなのでしょうか。
 まだこの農法が普及していない、情報もほとんどなかったころの先駆者として多大な苦労を体験してきた木村さんの若き日の話を聞いて農業とは別の観点から見ていたひとも大きな感銘を受けたことと思われます。
 人類のここ数千年の農業原則は有機農業であったことはだれしも認めるところと思われます。野生を山や原野に採集に行く手間を省き、さらには食べやすいように"あくを少なくやわらかく・・・"という具合に育ててきたのが農業の歴史でしょう。
 肥料をたくさん入れてより好みに合いたくさんとれるようにとの目的に合うようにいろいろと手を加えてきたものと思われます・・・ただしその反動として虫や病気の襲う程度も大きくなってくる。
 無肥料栽培は"自然観察によって得られた知見"と"長い有機栽培の歴史と慣行栽培から得られた知見"とのすり合わせの上に試行錯誤の積み重ねによって組み立てられてきた農法といえますが作物自身の成長していく力にキーポイントを置く"かまい過ぎない"農法と要約できるかと思います。
 番組の中のことばを使うと「育てない」ということ・・過保護にしない・・・ということです。
 すっぽかし・放置という栽培は昔から一部の作物にはあったのかもしれませんがそれを知的に解釈しようとしたひとはずーっといなかったのかもしれません。
 つまり木村さんの農法は遺伝子組み換え技術と並んで最先端農業の片方の雄といえるでしょう。どちらが右翼か左翼か決めかねますが。両者の間にその他のバイオテクノロジーや化学肥料のサプリメンタルな使い方による農法が入ってきます。

以下続く


在来種が買えない・・・
2006.12.30


 在来種の言葉の定義は・・・ある土地に昔から作られ続けてきた非改良の品種、その土地の土・水・気候等に究極的に順応した品種・・・・とでもいえるでしょうか。
 ただしこの国のせまさを考えれば縦長による寒い・あたたかい程度の差は認めるとしても極端な環境の差というものは考えられないと私は考えます。
 つまり"その土地オンリー"性というものはそんなに声高に主張できる意見ではないと思います。自然環境によって淘汰された結果狭義に今そこにある、というよりも生活レベルの環境変化・・・周辺・近隣農業が捨てられていった・・・によって"今そこにだけある"と考えたほうが妥当だと思います、日本では。
 博物学的に過去に採集され低温・更新保存され続けてきた"珍品"は今述べたこととはちょっと違うかもしれませんがそれらは例外としてください。比較的そこここで見かけられるものを今考えています。
 サトウイラズは特に分布が広く京都・滋賀県から長野・新潟をとおって群馬・栃木・茨城・千葉へとみずくぐりや小糸黒目らとこんぐらがりながら、また銀ノ次として関東青皮在来の混入種・・・たぶん変異ではなく混入だと推論・・・として育てられてきたものと思われます。
 また関東青皮在来は神奈川県の真正津久井在来、千葉の小糸在来、埼玉の青山在来・こさ豆・行田在来、群馬の金重在来、栃木の足利在来、茨城のおきんさま等のように・・・周辺山岳に取り囲まれるように分布してますが、遺伝子的にはたぶん同じものと私は推論します。

 きょうこの秋にとれた千葉小糸タネで群馬播種の小糸在来をつぶしましたが、オリジナルがアセチルピロリンぷんぷんであるにもかかわらず群馬でとれたものはまったくにおいがしませんでした。
 紫花青山、こさ豆、足利、おきんさまは豆腐にするとまったく(ほとんど)アセチルピロリン臭はしませんが枝豆ではちゃんとにおっています。土壌・農法・気候によって"本来はにおう遺伝子"を持っているにもかかわらずそれが顕現する程度に差が出てくるものと思われます。

 さて脱線しすぎてしまいましたが在来種の価値はその付加価値部分がきわめて大きなもので学問的・ロマンチック性にきわめて比重をかけねばなりませんが、食物の本質価値・・・うまい、ということ・・においても一目おかねばなりません。
 つまり味が深い・豊かということです。

 ただしこれはきちんと制作されてのことでいいかげんに処理したのでは改良種以下となることもままあるので国産大豆にこだわり始めていざ在来種へという気持ちがあっても場合によっては能書きだおれになってしまいます。食者の第一義的な食物の価値は"うまい"ということです。

 じつは恥ずかしいことなのですがここのところ4000円の丸合ミヤギシロメが調子よくてどうしても愛知県産20000円の無農薬在来種よりもずーっとうまくなってしまうのです。無農薬、という価値しかない・・・といってもこれは大きな価値ですが、しかもスーパー珍品・・・のですが、食者にはアピールしないものと考えられます。
 売る側の思い入れが過剰になりすぎるのが在来種の欠点ではないかと考えます、もちろん客観的に見てもその"付加価値"なるものには大きな意義がありますが、商売的にはその地域に関係ないひとにはどうでもいいことかもしれません。
 無農薬化しやすいという点も考えるとその価値はさらに高められねばなりませんが"うまさ"という観点からすると改良品種でも十分だと思えます。タマホマレのような雑味豊かなものとのブレンドによっても味の豊かさは演出できるので工夫を楽しみながら改良品種の可能性をさぐってみるのもいいと思います。
 値段の高い大豆がかならず"うまく"なるというものではないということは真実です。
 安い大豆でもていねいにきちんと処理する姿勢が必要です。

 こつこつと情報を集め、ちびちびと在来種も手がけていったらいいと思います。


虫汚粒
2007.1.17


 コンバインが大豆の株を刈り取るときに巻き込んだり、そもそも雨の"ハネ"などでさやが汚れていると大豆は土ほこりで汚れます。豆を漬けるときいも洗いすると水がまっくろになります。
 無農薬で大豆を作りコンバイン収穫すると、年によって程度の差はありますが、さやの中に入っている虫がさや割り中につぶれその汁で豆の表皮がこまかい黒点で汚れます。
 これがコンバイン収穫の欠点ですが"味と色"には影響はありません。
 手刈り、自然乾燥を十分してやるとこれはほとんど起こりません。つまり株やさやのまんま自然乾燥を一ヶ月・二ヶ月してやると虫さんたちはその間にほとんど外へ出て行ってしまうのです。秋の小春日和のぽかぽかした日ともなるとさやの中の暑さに耐えられなくなった虫さんたちはさやにちいさな穴をあけて外へ逃げ出してきます。その脱出中の姿は感動してしまいますがほとんど水分ともいえる虫さんのやっこいボディと強靭な"歯"ならばの脱出劇です。
 無農薬の理想的な脱穀は自然乾燥を経て脱粒機にかけるのが理想ともいえると思いますが、株のまんま収穫するとなるととんでもない広さの"雨露とのぐ乾燥場"が必要となるわけで、作業の大変さばかりではない物理的制約が発生するわけです。


ごはんの香り
2007.4.27

 きょう関東青皮在来の匂いの弱いタイプを煮ているとあきらかにぷんぷんとしていていい感じでしたが、にがりをとりに仕事場のはじっこにいくと部屋に充満した"うすめられた"アセチルピロリンが非常にいいかおりとなっていました。そしてなんかなつかしいかおりなのです。

 そう、炊き上がったこはんのふたをあけたときの「ぷーん」なのです。
  そういわれればと、頭の中でにおいを分析してみると・・・・アセチルピロリンのうすまったにおいはふつうのごはんのいいかおりと同じだなーと感じました。
 つまり高知の十和錦(香り米)の強いにおいを限りなくうすめていくとふつうのごはんのいいかおりになるものと推定されます。
 アセチルピロリンはめずらしいものではなく、"野生"に近い作物の多くに内在している"基本臭"なのだと思います。改良されたあとでも強さの大小こそあれ、性質を受け継いでいくのでしょう。

 さてきょうは紫花の青山在来をつぶしましたがこれはまったくアセチルピロリン臭はしません。しかし畑や農法の違いによって隠された匂いが顕現するかもしれません。
 きのうはわずかの量でしたが白花の青山在来のおととし産のものをつぶしました。デフォルメされてはいましたがアセチルピロリンに近いものをもっていると直感しました、ただし弱い。
 紫花と白花のどちらがほんとの青山在来なのかは識者の見解を待つしかありませんが味自体は若干の違いはあるもののあきらかに関東青皮在来性の強い美味であることに変わりはないのでどっちでもいいかもしれません。
 とんもろこし、ビアー(これはとんもろこしが入っているからかもしれない)、メキシコ産ほくほくかぼちゃ、ほうじ茶、だだ茶豆、関東青皮、秘伝、秋田在来茶豆・・・・・、まだまだほかの食物でもありそうですね。