| かむろ通信 2003.11.20 |
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| 11.18&19富良野にて義弟の49日法要。 大雪は旭日岳からカミホロカメットクまで真っ白な大パノラマ。道路は夏道。日陰に雪少し。義父の「がっかり」が身にこたえる。 20日。バレーボール日米男子戦。ありゃ不平等だ、身長差でハンデをつけるべきだ。身長そのものが武器になるスポーツ。高いほうが鉛の靴を履くとか・・・。 ひさびさに大沼さんのギンレイが出てきた。タチナガハがずっと続いていたのでほんとに久しぶり。過去にはタマホマレも作ったことがあるのでタマホマレも頼んではいるのだが・・・。 いろんなにがりがことごとく手抜きが露呈してきている。もっとまじめに作りなさい!!!!! |
かむろ通信 2003.10.19
10.02帯広の義弟が亡くなった、心筋梗塞であった、44歳。この日は奇しくも帯広のO氏主宰の食事会が都心であった日で、北海道からの連絡は家に帰る30分前の夜10時であった。朝7時に亡くなり発見が遅く検死にあっていたとのことでばたばたしていたらしい。
富良野へ行くといつも飛行場へ出迎えてくれたりそこここを車で案内してくれた。
こちらが恥ずかしくなってしまうほど気をよくまわしてくれる弟であった。
帯広の農水省統計事務所に勤務しておりついこのあいだオオソデフリや芽室のことを家内と話していたばかりであった。
通夜の日旭川空港に着陸寸前虹が出ていた。ひかりのあたり具合か、輝ける虹である。珍しい。旭川よりのどこかからま白き雪をいだいた大雪の峰に向かってのかけ橋となっている・・・。
ここ10年義弟には会っていなかったのでなんとも悔いが残る。
つらい葬式であった。
斎場でおたきあげの時外に出て煙突のかげろうをぼーっと眺めていた母親の姿がまぶたに焼き付いている。
いなかのちいさい斎場だがあまりにも"きれいに"やってしまう所沢の斎場では考えられない光景であった。
十勝の大豆のアドバイザーとしても楽しみにしていたのだが無念である。
残された家族に尽くすだけである。
帰りはやや遅い便で昔の小さい飛行機MD-90というやつであった。高度7900メートル。地上の夜景がきれいであった。着陸寸前の東京の夜景もすばらしかった・・・・心はうつろであったが。
| かむろ通信 2003.9.15&16 |
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敬老の日。 グリコのおまけのアグネス・チャンの「ひなげしの花」を聞くためにCD-MD-ラジカセを買う。 アグネスの最初の録音なのでしょう、hの音がフランス人みたいに発音できないところがかわゆい。 その昔イベントでアグネスを所沢に招聘するために何人かで自宅兼事務所まで出かけてマネージャーのご主人と折衝したりしたこともあったっけ。 かわいーなー。 大田裕美ちゃんのはグリコのおまけの中ではレアー物ということでなかなか手に入らないそうです・・・でもドーナツ版の「木綿のハンカチーフ」のレコードはは10枚ほど保存してあるのよ。ほほほ。 大豆の力がおおむね変化し始めるのが9月。冷蔵保存されるようになってから『熟成』という領域の楽しみが増えました。大豆にもずいぶんと手間・カネがかかるようになったものだ・・・その分いつもその時期それぞれの旨さが楽しめるようにはなった。 何年か前に豆腐の旬はいつかな?ということが雑誌でテーマになりましたが難しい問題だなー。 でも考え悩むのはいいことだ、議論も楽しい。 マーラーの第7をきのうのラジカセで聞く。こんなおもちゃみたいな機械でもリモコン操作。ロジックコントロールと昔呼んでいたやつですね。 難聴気味になってからというもの音楽からは遠ざかっていました・・・特に所沢の『ミューズ』でオケを聞いたとき、弦楽の総奏での例の「ふわっー」という倍音がほとんど聞こえなくなっているのにショックをおぼえてからというもの意図的に「ファイン・ミュージック」からは遠ざかっていました。 アグネスがきっかけでなんとなくまたはまりそーだな。 実は今の難聴とは別原因、すなわちヘッドフォン難聴に青春時代から陥ってしまってはいたのです。 一日にブルックナー全曲、マーラーはさすが甘すぎというか歌いすぎの音楽なので最高6曲しか聞いたことがありませんが今思えば大した体力だとは思います。ベートーベン全曲なんてのは朝飯前でした。 まともに音楽を聴いたのは15年ぶりぐらいだろうか。 久々に感動してしまった。 マーラーの第7は不完全な音楽なのかもしれないがなんとなく豆腐の不完全の美と重ね合わせたりしてみて・・・。 |
| かむろ通信 2003.9.09 |
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気象衛星ひまわりがだめになってからというものお天気予報があたりませんね。 以前は翌日のお天気予報がはずれるなどということはほとんどなかったのですが。 今日はあつくなりました。でもいまさらひややっこというわけにもゆかず結局7・8月の低温による売上不調を補填はできないでしょう・・・ビールは暑くさえあれば飲みたいですがね。 問屋さんがくるたんびに値上げの話し。 先回りして買い占めておこうとするものたちがいろいろいるわけですが正直なところ大豆の作況は10・11月にならないとはっきりしたことは言えないとのこと。お米とはちょいと違うようです。ただ良くないということだけはたしかのようですが問題はその程度。 |
| かむろ通信 2003.4.19 | ||
| NHKのお昼の『スタジオパーク』という番組で織作峰子さんという写真家が出ていた。 彼女の顔に感動してしまった。 彼女は鈴木善幸総理大臣と一緒に映っていた場面があったので何年ごろだろうか・・・ミスユニバース(代表?)になった方である。 もともと大田裕美を頂点としたまるぽちゃが好みなのも関係しているのかもしれないが彼女の顔にとんでもない「高い」ものを感じた。 ミス・・・という企画自体自分は大嫌いなのだが、「ひと(男)から見られて・・・、・・・される」という受身のヒーローだったかたが、正反対の「ものをつくる」側にまわったという人生の積み重ねのなかで起きた、その顔つきの変わりようには恐れ入りました。 ほんとにいい顔している。 自分よりひとまわり位若いのかな。 彼女のインタビューのことばも良かったが、ことば以上に「顔」が人生を物語っていた。 自分と比べたりしたら失礼かもしれないが彼女の顔に「ものつくり」のかがみをみた。 |
| かむろ通信 2003.3.19 | ||
| テレビで田村正和さんたち3兄弟のお父様の坂東妻三郎の『雄呂血』という無声映画をみた。 すごく良かった。 一時間飽きることなく知らないうちに終わりまで運ばれてしまった感じ。 映像・ストーリーの力はもちろんのことだが「語り」の力に圧倒されてしまった。 朗読等と並び、耳からの「ことば」の魔力・威力を痛感する。 またストーリーも時代劇も今風の単純なちゃんちゃんばらばらオンリーでなく主人公のこころの葛藤がよく描かれていた。 先だっての『決闘高田の馬場』もそうであった。 材料はいっぱいあるはずなのでもっとやって欲しいな、サイレント。 |
| かむろ通信 2002.12.26 | ||
| 川越の美術館オープンにともなう相原求一朗展を観てきた。 母校のテニスコート裏の原っぱだったところでよくサッカーをして遊んだところだ。 一時期音楽ホールが雨後の竹の子のように出来た時期があったが川越市はそれを我慢し美術館を選択した。頭が下がる。 音楽は本能にもろに訴える芸術であるが、絵画は特殊な人々を除きワンクッションの間が必要だ。 画家の言葉は研ぎ澄まされている。感性とは知性の一形態だとつくづく思う。 齢を経るに従い観方がゆたかになる、今まで見えなかったものが見えてくる。 相原先生に初めてお会いしたころに感じた絵からの叫びはずいぶんと変わったように今日思えた。 風景が"凛"としている。きりっとして気品をもっている。 具象と抽象の区別に何の意味があろう、と相原先生が猪熊弦一郎先生からさとされた意味。 木々、花、水、山・・・風景そのものが抽象そのものであると。 絵の風景のなかに「いのちの気品」を感じた。 |